「東電とケンカをしても無駄。なぜなら……」――新潟県三条市の市長に聞く相場英雄の時事日想(1/4 ページ)

» 2011年06月23日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

 前回に続き、國定勇人(くにさだ・いさと)三条市長に福島県南相馬市からの被災者受け入れの話を聞いた。今回は受け入れ実態の詳細、そして国や中央の政治家に対する地方公共団体の長としての思いも聞いた。このほか、避難生活の原因を作った東京電力との関わりについても率直な意見を聞いた。

 →なぜ被災者を受け入れたのか? 新潟県三条市の市長に聞く

「全身全霊で守る」

――受け入れの詳細は?

三条市が作成した被災者の受け入れ状況表。避難所や公営住宅などの詳細が網羅されている(クリックして拡大)

 少しだけ自慢めいた話をすると「三条市はいっぱいいっぱいやった」というのが率直な思いだ。もうこれ以上は無理というレベルまで職員もがんばった。

 自分の中では、3月16日に避難所開設を決めた際、秘かにこの街の規模で迎え入れることができるキャパシティーは1000人だと想定した。当時、新潟県の泉田知事が全県で10数万人受け入れる、近隣の市が1万数千人受け入れるとのプランをお持ちの時期だった。

 しかし、私個人としては少し違和感があった。被災された方々は個々に深い傷を負われている。そういう方々をお迎えするのに、受け入れる方々の数、ボリュームではないと思ったからだ。

 日本には1800の市町村がある。単純計算すれば、三条市が1000人受け入れることができれば、人数バランスもそれ相応だと考えた。被災者の皆さんを文化的に、そして最低限の生活を送っていただくことができると環境は作れると思った。

 結果として1000人は超えなかったが、避難されてきた皆さんの受け入れを断わらずにすんだ。ピーク時は815人、避難所には600人。現在(6月3日)は386人だ。

 避難所や公営住宅に何名の方々がいらっしゃるのか、それぞれの数を把握した一覧表を作っている市町村は少ないはず。秘かな自慢にしている事柄でもある。南相馬の方で三条市から出た人のこと、彼らが次にどこに行かれたかも捕捉している。

 避難された方々を受け入れると決めた段階で「三条に縁のあった方々については、生活再建のメドがつくまでは全身全霊で守る」と誓いを立てた。必ず次の市町村にはバトンを渡す。徹底的に一人残らずやろうと決めていた。

 落第点だったのは、実際には転居先不明者が63人存在した。指示を出してから現場に伝わるまでの間、1日ブランクがあった。この間に63人分の動向が捕捉できなかった。被災された皆さんは、我々の思いとは別に移転する。我々はそれを傍観していてはいけない。

 被災者たちを全身全霊で守るということは、その人たちがどこに行ったとしても、三条市に留まっている人と同じように「義援金を受け取ることができる」「各種の支援を受けることができる」という環境を作ることが我々の責務だと考えた。

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