そんな生活が続いたため、「さすがに肉体的そして精神的に疲れましたね。工期が短かったので、なかなか休みをとることができませんでした」という。また現場には駐車場がなかったので、近隣の家にある駐車場を借りて、そこにクルマを停めていた。「駐車場から現場まで歩いて10分ほどでしたが、坂の傾斜がきついところでした。1日の仕事が終わって疲れ切っているのに、さらに駐車場まで坂を昇らなければいけなかったのはつらかったですね」と振り返る。
現場での混乱は続いた。仮設住宅用の資材が届けられるが、その資材を置くスペースが十分とはいえなかった。グランドは地割れしているところもあり、「こんな場所に重い資材を置いていいのだろうか。雨が降れば崩れるのでは……と心配しましたね」。またグランドには滑り台や鉄棒といった遊具があったが、それを撤去することは禁止されていた。結局、現場から少し離れたところに資材を置くことにした。「通常の現場であれば資材は近いところに置いているので、職人さんは大変だったと思います」
さらに“想定外”ともいえる事態に直面した。仮設住宅の工期が短かったので、工事は急ピッチで行わなければいけない。1日のロスも許されない状況であったが、仮設住宅を建てる伊里前小学校に天皇皇后両陛下が、被災者を見舞うため訪問されたのだ。4月27日、両陛下は高台にある小学校の校庭から津波の被害を受けた町に向かって黙礼。また避難所になっている歌津中学校にもご訪問され、被災者に言葉をかけて回られた。このニュースを記憶している読者も多いのではないだろうか。
しかし現場では混乱した。事前に両陛下が訪問されるという連絡は一切なかったからだ。直前になって、関係者から「工事をストップしてくれ」と連絡があった。最初は伊里前小学校だけだったが、次に歌津中学校、さらに入谷中学校の工事も中止せざるを得なくなり、結局、その日は仕事にならなかった。
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