マーケティングから誕生した概念であるキャズムは、オープンソースソフトウェアとは関係ないと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。今回はオープンソースのキャズム論について考えてみたいと思います。
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マーケティングに関する面白い話題としては、「キャズム」と呼ばれるものがあります。これは米国のマーケティングコンサルタントであるジェフリー・ムーア氏が提唱した概念です。
彼によれば「市場は大きく分けて5つのセクションに分類できる」そうです。
新商品が出ると「人柱*」としてすぐに試してみるイノベーターや、取りあえず成功の見込みがありそうならやってみる*アーリーアダプターなどは、新しいものを受け入れるのに柔軟です。しかし、大衆はもっと保守的です。「失敗したら損」ですし、定着しなければ投資が無駄になることを恐れる気持ちと、新しい技術で差別化したい気持ちの両方を持つアーリーマジョリティは、成功例が複数登場するまで手を出しません。もっと保守的なレイトマジョリティは、周り全部がその技術に移行してしまって、重い腰を上げざるを得なくなるまで動きません。超守旧派であるラガードは、周りに取り残されても構わず古い技術に固執します。
ある商品が次のセクションに受け入れられるのは大変です。特に、イノベーターとアーリーアダプターで構成される初期市場と、アーリーマジョリティやレイトマジョリティによって構成されるメジャー市場の間には、容易には越えられない「chasm(キャズム:深いミゾ)」があるとされています。新しい技術のマーケティングに関しては、「このセクション間のミゾをどう飛び越すか?」が課題になります。
同じ人が、同時期に異なるセクションへ所属することもあります。例えば、わたしはプログラミング言語について、取りあえず新しいものを調べてみるという点ではアーリーアダプターレベルでしょうが、実際に使っているのはCとRubyばかりで、むしろレイトマジョリティレベルでしょう。エディタについては、いつまでたってもEmacsに固執するという点でラガードかもしれません。オープンソース関係者だからといって、いつもアーリーアダプターとは限らないわけです。
キャズムはテクノロジーマーケティングの文脈で誕生した概念ですが、実際には人間が新しいものを受け入れる過程全般を表現していると思います。新しい文化、例えば日本のアニメが世界市場で受け入れられる過程を観察すると、似たような分類が見られることでしょう。
では、キャズムを越えて、マジョリティ(大衆)にアピールするためにはどうしたらよいでしょう。大衆は周りの人が使っていないと使い始めないわけですし、周りの人が使っているということは、すでに大衆が受け入れているということになります。これでは「鶏と卵*」です。
ジェフリー・ムーア氏は、「マーケットを小さなセグメントに分割して狭いマーケットでの成功事例を蓄積し、それを背景に近傍のセグメントへの波及効果を狙い、最終的に対象をマジョリティに拡大する」という方法を提案しています。分割統治のテクニックですね。
剣呑な呼び名だが、必ずうまくいくと保証されているわけでもないのに新商品を試し、場合によってはドライバを書くなどして対応させてしまうような人たちのこと。われわれ(特にLinuxのようなマイナーOSのユーザー)の使う多くのデバイスは、このような人柱の数知れぬ「犠牲」の上に使えるようになっている。合掌して感謝しよう。
その心は「成功したら差別化できてラッキー」。
「鶏が先か卵が先か」というのは、古来さまざまな人を悩ましてきた問題ですが、先日、英国で哲学者や生化学者のグループが討論した結果、鶏が先という結論が出たそうだ。「生物の遺伝子は途中で変化しないことから、最初の鶏になった卵が先」ということらしい。こんなことに真剣になる哲学者たちってステキ。
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